儒学

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儒学(文字)の日本伝来とその後

【 文字 (=漢字) の伝来 】

文字を持たない我が国に、応神天皇16年 (西暦285年?、405年?)、 朝鮮 (百済 ・ くだら) の 博士王仁 [ワニ] が 『論語』 10巻と 『千字文 [せんじもん] 』 1巻をもたらしました。 日本は、中国の漢字を日本的に変容させて (ex. 訓読、仮名文字の発案) 受容 ・ 吸収しました。

文字の伝来 ・ 受容は同時に儒学の伝来 ・ 受容でもありました。 その後、五経博士 (6世紀初)、易暦医博士 (6世紀中) が来日し、 やがて仏教も百済から伝来 (538年? 552年?) します。 このように中国の源流思想、儒学は朝鮮経由で日本にもたらされました。 そして、その儒学が永きにわたって我が国の政経 ・ 社会 ・ 文化のいしずえとなり、 美しい日本の精神 = こころを形成してきたのです。

【 飛鳥 ・ 奈良時代 】

聖徳太子は、儒学 ・ 仏教をよく修め 国を治めた最初の教養人指導者であったといえましょう。 ”日の出づる処の天子” として ”遣隋使 [けんずいし] ” を派遣し (607年)、 ”冠位十二階の制” (603年) により 儒学と色による行政改革を行いました。 有名な”憲法十七条” (604年) の 1条 「和 [わ・やわらぎ] をもって貴 [たっと] しとなし」 は 、『論語』 の一節からとったものです。

【 平安時代 】

”遣(隋)唐使 : (607) 630年~894年” により、中国の文化が大量に直接に入ってきました。 貴族 ・ 僧侶が儒学を学び、大学の必修科目は 「論語」 ・ 「孝教」 でした。 日本の中古文学が花開きました。

【 鎌倉 ・ 室町時代 】

朱子学が伝来しました。 武士の間で兵法などとともに広く学ばれました。 鎌倉時代の随筆 『徒然草 [つれづれぐさ] 』 (吉田兼好 [けんこう] ) を読むと、 いたる所に 『易経』 ・ 『論語』 などの儒学 ・ 漢学の素養があらわれていることに感心いたします。

【 江戸時代 】

戦国時代を武力で統一した徳川家康は、江戸幕府を開きます。(1603年) 家康は ”近世儒学の祖” 藤原惺窩 [せいか] の講義を受け、 儒学 (朱子学) を新しい時代の官学とします。 (※当時、中国 ・ 朝鮮で朱子学が官学でした) 朱子学を正学とし 徳治主義をもって幕府のいしずえを築いたのです。 ”犬公方 [いぬくぼう] ” とあだ名された 5代綱吉 [つなよし] は 湯島聖堂 (孔子廟 [こうしびょう] と聖堂学問所) を設け、 儒学を奨励し文治政治を推し進めました。

江戸期には儒学が隆盛し、日本儒学が形成 (儒学の日本化) されます。 儒学三派と呼ばれるものが、朱子学派 ・ 陽明学派 ・ 古学派です。 儒学のほか国学や蘭学も学ばれました。

江戸時代の教育は正当に評価されていないきらいがあると思います。 藩校や寺子屋による初等教育は現代に負けない充実ぶりでした。 例えば 『論語』 は、庶民から武士、老若男女、”『論語』 を知らぬものはない、読まぬものはない ” といった充実ぶりです。 当時の子供の素読 (=音読) によって 培 [つちか] われた語学力 (漢学) は 現代の学生とは 比べものにならぬほど優れたものだったでしょう。 また、当時の女性は非常に教養豊かで、自由であったと思われます。

【 幕末~明治 】

幕府の正学が朱子学 (寛政異学の禁、1790年) であったのに対し、 異学とされていた陽明学が次第に力を持ってきます。 ”日本陽明学の祖” が ”近江 [おうみ] 聖人” と呼ばれた中江藤樹 [とうじゅ] です。 (平成20年は生誕400年にあたります) 幕末に乱をおこした大塩中斎 (平八郎) はよく知られています。

幕末の儒学的教養人として、佐久間象山 [しょうざん] 、 松下村塾 [しょうかそんじゅく] を開いて多くの俊英を輩出した 吉田松陰 [しょういん] (平成20年は、”安政の大獄” により没して150年にあたります)、 明治維新の3傑の1人 西郷隆盛 [たかもり] 等があげられます。 彼等が幕末から明治への激動期に、 進歩的 (進化的) 役割を果して ”維新” を実現したといえます。

( ※2008年4月 高根講演 「儒学と松下村塾の赤竜たち」 を参照されたい。

【 明治 】

明治時代となり法治主義になっても、人間が一気に変わるものではなく、 江戸期日本儒学の良き伝統や徳風は温存されていたと考えられます。 初代総理大臣の伊藤博文 [ひろぶみ] 、3代総理大臣の山県有朋 [やまがたありとも] は 松下村塾出身です。 そして どちらも名前は 『論語』 の一節からつけられています。 儒学は ”文明開化” の時代にあっても ”和魂洋才 [わこんようさい] ”、 ”東洋の道徳” として、 その意義 ・ 価値を発揮し続けます。

「教育勅語 [ちょくご] 」、1890年」 は、 明治天皇が帝国大学 (現 東大) に徳の学 (徳育) のないことを心配されて、 自ら 具体的に人格形成の目標として提示されたものです。 格調の高い名文で書かれており、「ヨコ線従って、わたくしも国民の皆さんと共に、 父祖 [ふそ] の教えを胸に抱いて、 立派な徳性を高めるように、 心から願い誓うものであります。」 (※口語訳) と結ばれています。 教育勅語は、大東亜戦争敗戦により 占領軍によって廃止されるまで、 儒学の精神にもとづき、人間教育の指針として日本の精神文化を形成してまいりました。

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