国際化の時代にあって、現在 [いま] 、日本と日本人のアイデンティティ (identity・自己同一性)が問われています。 現代日本は、日本(人)とは何か? を見失っている時代です。 日本の思想・文化、つまり日本の精神は、以下の3つであるといえましょう。
そして、この3つが親しく ”和” して家族的に同居しているところに特色があるといえましょう。 例えば、僧侶・神官が儒学を学んだり、各家庭で神棚と仏壇を並べて祀 [まつ] ったりといった具合です。 かつて私達の先祖は、中国の文字(漢字)を 訓読の工夫をしたり仮名を発案したりしました。 明治期には大量の外国語に対応する語 (例えば ”経済”、”郵便” など) を造 [つく] って取り入れました。 そうして、現在の日本独特の”日本語”を形成してきたのです。 日本人は、外国のもの異質のものを、優れた包容力と ” 陶鋳力 [とうちゅうりょく] ”(山鹿素行 [やまがそこう] の言葉)をもって 受容・進化させてきたといえましょう。 儒学においても、中国を源流とし朝鮮経由で伝来した思想ではありますが、その優れた包容力と陶鋳力をもって受容 吸収し、 日本の歴史風土に根ざして進化させたといえましょう。 例えば、日本儒学は、歴史的に、仏教的なものや道教(老荘)的なものを吸収・包摂しながら、教義を豊かなものとして形成されてきました。 ですから日本儒学は、中国や韓国の儒学とは、例えば中・韓の冠婚葬祭によくあらわれる宗教性や礼学的性格において、 かなり異なっていると思います。 私(高根)は、日本儒学の独自性は その ”学道” 的性格によくあらわれていると思います。 また これからの日本儒学も ”学道” を極めるものであらねばならないと思っています。 進化は、日々に新たなものです。 ”維新” です。かつて ”江戸期 日本儒学” がそうであったように、 古き良き日本儒学の伝統を新しい現代の要素を加えて再生し、活学し、未来へと進化させてゆかねばなりません。 【 関連ページ 】
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